わたしを断罪せよ / 岡林信康

わたしを断罪せよ

わたしを断罪せよ

フォークの歴史に通じているわけではないので間違いが多いかも知れませんが、フォークソングとはつまり「みんなの歌」なのかなと思うことがあります。起源としてはアラン・ロウマックス*1ウディ・ガスリーピート・シーガーらが民謡を採譜したことにあると思うのですが、新しいフォークソングは次々と生み出されてゆくわけで、そうすると「フォーク=民謡」というのもちょっと違います。で、フォークとは何かということを考えると、「フォークとは民謡を指すことが多い」「アーティスト間で気軽にカバーが行われている」「楽器(ギター)一つで誰でも歌える」「みんなで一緒になって歌える」といった特徴が見えてきます。SSWに近いフォークについては当てはまらないこともあるかも知れませんが、とりあえず出てきたこれらの特徴を一言で表すならば、それはやはり「みんなの歌」なのかなと。

その辺りにぼくがフォークを好きになった理由があります。テクニックとか音質とかそうしたものを気にせずに誰もが気軽に歌えて、気軽に聴くことが出来る。そういうところが魅力というか、みんなで大合唱できたりとかっていいじゃないですか。

「わたしを断罪せよ」は1969年発表の岡林信康のファーストアルバム。このアルバムの最後に収録された「友よ」の前に彼の語りが入るのですが、それがこのアルバムの空気を表しています。

 えー、僕の最初のLPを聴いて下さって、心から感謝致します。あのう、えーLPなんぞ出すというと何かレコード歌手ということで、えーちょっとかっこいいんですけど、あのどうちゅうことないわけで、僕自身のその、要するにうめきやそういう、なんか知りませんけどそういうもんを歌にして表したっていうだけ。そやからあの、みんなももっと歌いださんとあかんと思いますし、あの、黙ってることはないと思うんです。で、僕の歌、暗い歌が多いんですけど、やっぱりぼくなりに、あの、今ぼくはその健康的な明るい歌というのは歌えへんような心理状態でありまして、うめきで僕自身はいいと思うんです。えー、みんなもどんどん歌いだしてほしいと思うんです。

トム・パクストンやボブ・ディラン、エリック・アンダーソンのカバーにオリジナルを交えた構成。うめきと呼ぶにはその歌とメロディーはあまりも美しく、しかし戦争や差別を取り上げた暗い歌詞はうめきと呼ぶにふさわしい凄みを持っています。とにかく彼は、これらの歌を歌い出さずにはいられない衝動に駆られたのでしょう。関西フォークという運動については現在の視点から見ていろいろな批判を為す人もいますし(フォーク好きの中にも、ということです)、それはそれで的を射た部分もあるのでしょうが、運動の思想やスタイルで是非を判断してしまうのはもったいないなと思います。

古典的な節回しが美しい「山谷ブルース」やフォーク・イズ・パンクという言葉がそのまま当てはまりそうな「それで自由になったのかい」*2などカバー以外にも素晴らしい曲ばかりなのですが、ぼくはフォークロック的な味わいもある「今日をこえて」を聴き返すことが多いです。アルバムの中でも比較的前向きなメロディーとメッセージを持ち、アルバムの中でもうまくバランスを保っています。

*1:彼は基本的に歌手ではなく、フォーク研究家だったそうですが。

*2:パンクよりフォークの方がムーヴメントとしては先なのですけど。