More Of The Monkees / The Monkees

More of the Monkees

More of the Monkees

『モア・オブ・ザ・モンキーズ』はモンキーズ2枚目のアルバム。初のライブツアーに出かけていたモンキーズのメンバーがふとツアー先のレコードショップに立ち寄ると、本人たちの知らないうちに発売されたモンキーズのニューアルバムが店に並んでおり、メンバーはびっくりしたという笑えるような笑えないようなエピソードが残っています。テレビ番組用に録音した音源を、会社側が勝手に見繕ってアルバムを発売したのです。

しかしながら、アルバムの出来はファーストアルバムと比べても遜色ありません。ボイス&ハートやゴフィン&キングに加えて、ニール・セダカ、ニール・ダイアモンド、リンツァー&ランデルなどファーストアルバム以上に作曲家が多様化し、ヴァラエティという点からすると先のアルバムを凌ぐものがあります。また、プロデュースはボイス&ハートの楽曲を除けばジェフ・バリーが担当しているので、ヴァラエティと引き替えにまとまりのないアルバムになってしまったということもありません。

モンキーズ育ての親とも言えるボイス&ハートは「She」と「(I'm Not Your) Steppin' Stone」を提供。後者はセックス・ピストルズなどもカバーした(ブランキーがカバーしたのはたぶんそっちの影響でしょう)ハードな曲ですが、前者も負けず劣らずアグレッシブな曲です。この2曲はボイス&ハートの作品の中でも特に好きなもの。バーズを思わせるちょっと繊細なフォークロックである「Sometime In The Morning」や、ネオアコ世代に受けそうな青春ロックである「When Love Comes Knockin' (At Your Door)」など隙のない曲が並んでいますが、そうした中にはメンバーであるマイク・ネスミスの自作曲も収録されていて、中でも「Mary Mary」はポール・バタフィールド・ブルース・バンドにもカバーされた極上のブルース・ロック。しかし、やはり注目すべきはニール・ダイアモンドによる「Look Out (Here Comes Tommorow)」と「I'm A Believer」で、特にソウルフルな「I'm A Believer」は7週連続で全米1位に輝きました。

しかし、レコーディングと言ってもモンキーズが行うのはヴォーカルの吹き込みだけ。さらには勝手にアルバムを発売されるなど、メンバー…特に我の強かったマイクは不満を募らせていきます。

ある日、モンキーズのファーストアルバムのゴールドディスク授与式でのこと。モンキーズ・プロジェクトの中心人物であるドン・カーシュナーがモンキーズに対し、次のシングルはこの中から選ぶぞと4曲入りのアセテート盤を手渡しました*1。これにマイクが激怒し、壁に拳を打ち付けて穴を開けます。あっけにとられるドン・カーシュナーらを残して、マイクはその場をあとにしたのでした。

マイクは非常手段として雑誌記者を集めて会見を開き、そこでレコードで発売された曲のほとんどはモンキーズが演奏したものではないと言うことを暴露。「ぼくらは演奏する力を持っています。でも、会社が演奏させてくれないのです」世間の同情を追い風にと考えた末での行動でしたが、メディアは一斉にモンキーズ・バッシングを開始。マイクは時々突拍子もない行動を取るんですよね。

結局マイクのモンキーズ脱退か、ドン・カーシュナーとの契約打ち切りかという二択を迫られた会社側はマイクを選び、カーシュナーをクビにします。この際、契約不履行でカーシュナーが受け取った賠償金は1200万ドルとも言われています。マイクが脱退をちらつかせるほど強気になれたのは、彼のミュージシャンとしての意地が一つの理由としてあったのでしょうが、彼の母親であるベティ・ネスミスは企業家として大成功していたので、資金的な面で悩む必要がなかったことも大きいようです。彼の母親は、ぼくらの身近にもある修正液を発明した人なのでした。

こうしてモンキーズはようやく独立を勝ち取り、3枚目の、ある意味では最初のアルバム制作にはいるのです。

参考
修正液誕生の秘密を見に行こう(by 安倍なつみ
月刊ぺんてる

*1:この中には後にアーチーズでヒットする「Sugar Sugar」も入っていました。