Number Girl / SCHOOL GIRL DISTORTIONAL ADDICT

SCHOOL GIRL DISTORTIONAL ADDICT

SCHOOL GIRL DISTORTIONAL ADDICT

齢を重ねるごとに感性は磨かれていき、子どもの頃にはただ退屈なものでしかなかったものの価値や美が、年齢とともに理解できたりします。でも磨くというのは粗い部分を削り落として洗練させていくという行為なので、その過程でそぎ落とされ失われてゆくものもきっとあるのだと思います。

Number Girlの音楽は中高生に向いていると言うと、普段「中高生向けの音楽」というのを否定的な意味合いでしか使っていない人には不満があるかもしれません。しかしある部分においては、大人の感性では太刀打ちできないものを、彼らは自然のうちに備えています。それはかつてぼく(ら)も持っていたもので、しかしすでにほとんど失われ、今は中高生の彼らもやがては失ってゆくはずのものです。

溢れる衝動を抑えきれないかのように疾走するNumber Girlの音楽に込められた怒りや喜び、哀しみ、焦燥は、ぼくらが思春期に感じる衝動そのもので、それだけに若い人たちNumber Girlにリアルな共感を得るでしょう。もちろんぼくもNumber Girlを聴いてその思いに胸を打たれるのですが、それはリアルで直接的な共感ではなくて、思春期の記憶や感性を辿ることによって得られる擬似的で間接的な共感です。もっと音楽に込められた思いをこの身に感じたくても、分厚いガラスで隔てられたようなぼくとNumber Girlとの間の曖昧な距離は埋めようもなく、ぼくはいつも傍観者としてこの素晴らしい音楽を楽しんでいます。(初めて聴いたのは大学2年生の時だったのです。高校生のうちに聴いておきたかった…)若い人はその若い感性が失われないうちにぜひ聴いておきましょう。すでに失ってしまったかもしれないという人も古き日を想いながら聴きましょう。若き衝動を脚色することなくそのまま保存したような、日本のロックの一つの到達点だと思います。