The Monkees / The Birds, The Bees & The Monkees

Birds Bees & the Monkees

Birds Bees & the Monkees

テレビで、あるいは「Daydream Believer」などのプロモーション・ビデオで見せる仲の良さそうなイメージの裏で、モンキーズのメンバーがお互いに顔を合わせる回数は次第に減っていきました。モンキーズ5枚目のアルバムである『The Birds, The Bees & The Monkees』に収録された曲のうち、複数のメンバーが参加した曲はマイクとミッキーが参加した「Auntie's Municipal Court」と前のアルバムのレコーディング時にすでに完成していた「Daydream Believer」のみだという事実が、何よりも当時のモンキーズの状況を良く表しているように思います。

こうした状況が生まれるには、様々な要因が重なったことでしょう。メンバーに音楽的な自我が芽生え始めたからだとは良く言われる話です。もちろん、音楽的な自我とは言ってもそれは創造への欲求ばかりを指すのではなく、マスコミや評論家、大衆から本物のミュージシャンとして認められたいという体裁を繕うような欲求も含まれていたことかと思います。この『The Birds, The Bees & The Monkees』のプロデューサーは‘The Monkees’とクレジットされていますが、実際にはショーティ・ロジャースらがプロデュース・ワークを担当したものが少なからずあったという話です。そして、モンキーズが彼らの名前をクレジットすることを渋り「produced by The Monkees」に拘ったというのも、彼らがいかに本物のバンドとして世間から認知されたがっていたかを物語る話です。

印税の話はやや穿ちすぎだと思うので脇に置きますが、しかしバンドの分裂を決定的にしたのはスクリーンジェムズ社の決定でした。同社は4枚目のアルバムが発売された後、各メンバーにスタジオの使用許可を出し、積極的にレコーディングを行うようにと勧めました。これを受けて、モンキーズは個別にレコーディングを行おうという取り決めを行います。マイクは誰からも認められるような芸術的なサウンドを創りたくて、他のメンバーの演奏に不満と限界を感じていました。ミッキーもドラムを叩くのはもういいやと考えていました。デイヴィーも、マイクの完璧主義に付き合ってタンバリンを何度も叩かされるなんてまっぴら御免だと考えていました。ピーターだけは、その決断に納得しなかったといいます。しかし彼に同意するメンバーはおらず、ピーターも単独でレコーディングを行いました。

こうした事情で進行したアルバムのレコーディングは、1967年10月から翌年3月までという長期間にわたって行われました。これは、上のような理由でレコーディング時間が増したことも一つの理由です。このレコーディングで録音された曲は『Head』や『Instant Replay』などに転用され、それでもなお残った膨大なアウトテイクが後に『Missing Link』シリーズやCDのボーナストラックなどで日の目を見ることになります。

完成したアルバムはどうにも混沌とした印象を与えるものでした。モンキーズが全体のプロデューサーとしてクレジットされていますがまとまりがあるわけでもなく*1、キャッチーなのかそうでないのか分かりづらい空気が全体を包んでいます。個々の曲は悪くはないのですが、全体としてはどうもうまくないアルバムの典型です。それを証明するかのように、ちょうど発売された頃にモンキーズ・ショウのテレビ放映が終了したという不運も重なって、このアルバムでモンキーズは初めてチャート首位の座を逃し、3位に甘んじることになります。それでも、その後のアルバムの成績を考えると、これも十分健闘した結果と言えるかもしれません。

アルバムの性格を考えると、曲の解説はメンバー単位で行うのが適当かもしれません。まずマイクです。マイクは当時“本物”として認められたいという願望を強めていき、突飛で大がかりなアレンジを好むようになっていました。その最たるものがソロプロジェクトである『Wichita Train Whistle Sings』です*2。二つの作品を組み合わせた、不安を煽るようなピアノが印象的な「Writing Wrongs」は非常に実験的で、従来のモンキーズが好きな人には不評かとは思いますが、やや冗長ながらもなかなか面白い作品です。ポップな「Auntie's Municipal Court」もミッキーのヴォーカルをかぶせて非常にサイケデリックに仕上げています。また、「Magnolia Simms」では針飛びやレコードのスクラッチ音をわざと入れて、SPレコードの時代を感じさせてくれます。こうして従来のカントリー・ポップというイメージから脱却しようとマイクは様々な試みを行いますが、やはりしっくりこなかったのか、このアルバムの後にカントリーに回帰し、ナッシュヴィルで一連のカントリーロック・セッションを行うことになります。そうした中で、「Tapioca Tundra」という曲はマイクの実験精神とカントリー・ポップがうまく融合しており、ネオアコ/ギターポップ世代に受けそうなそのスタイルは高く評価できます。

マイクに続いて目覚ましい活躍を見せたのは、意外にもミッキーではなくデイヴィーでした。デイヴィーの作品はいつも分かりやすい、甘くポップな作品です。サンダウナーズなどとの交流で刺激を受けたデイヴィーは、スティーヴ・ピッツという共作者を見つけて一気に才能を開花させます*3。コルピックス時代のソロシングル「Dream Girl」を下敷きにしたポップな「Dream World」(タイトルも似ていますね)、愛らしい「The Poster」は共にデイヴィーとスティーヴ・ピッツの作品です。これらの小品に加えて、ヒットシングルとなった「Valleri」や甘いラブソングとして人気の高い「We Were Made For Each Other」で安定した魅力を発揮しています。

ミッキーは自作曲を提供せず*4、やや勢いがないように感じられます。モンキーズの表の看板であったミッキーの低調さが、このアルバムの混沌の度合いを深めているのかもしれません。『More Of』におけるアウトテイクの再録で、かつてのモンキーズのイメージそのままの「I'll Be Back Up On My Feet」、そして悪くはないですがあまりにも地味な「P.O. Box 9847」「Zor And Zam」が続きます。後はマイクの「Auntie's Municipal Court」にヴォーカルで参加しただけです。

不思議なことに、友人のスティーヴン・スティルスを参加させた「Lady's Baby」などの秀でた曲がレコーディングされていたにもかかわらず、ピーターの曲は一曲も収録されず、そればかりか彼がヴォーカル・楽器を担当した曲すらもありません(「Daydream Believer」を除く)。これについては、同時期にレコーディングしていた曲が『Head』で2曲も使われたことに関連して何か取り決めがあったのだろうかとか、すでに脱退&ソロ活動を決意していて良い曲は取っておいたとか(これはマイクか…)、とりあえずいくつか理由を考えることが出来ますが、案外本当に収録する曲がなかっただけなのかもしれません。『Head』に収録された曲を除くと、ピーターがそれなりに完成させていたのは「Lady's Baby」「Come On In」「Tear The Top Right Off My Head」というよく似たタイプの3曲と一般的には微妙だという評価を下されそうな「Merry Go Round」ぐらいなので、まあそのあたりはご想像にお任せします。

そして繰り返し言及したとおり、前作のレコーディング時に完成していた「Daydream Believer」が、アルバムの重たい空気を破って陽気な音を響かせています。日本でも大ヒットし、何度もリヴァイヴァル・ヒットを記録し、タイマーズ忌野清志郎)の日本語版のヒットでも知られるこの曲は、全メンバーが参加して、チップ・ダグラスのもとにまとまった、紛れもないモンキーズの代表曲です。ただ、このアルバムにおいては、そのまとまりが何とも言えない悲哀を感じさせるのもまた偽りのない事実なのですが。

このアルバムの発表と同じ頃、モンキーズは映画『Head』の撮影に入ります。バンドの崩壊は、すでにこの時には始まっていたのでした。

*1:当然といえば当然ですが。

*2:節税対策という側面も持っているというアルバムですが。

*3:といっても、どこまでがデイヴィーの貢献した部分なのかはよく分かりませんが。

*4:「Shorty Blackwell」など数曲のレコーディングは行っていましたが。