角田光代 『まどろむ夜のUFO』

まどろむ夜のUFO (講談社文庫)

まどろむ夜のUFO (講談社文庫)

「おーい、おーい!」そういえば呼びかけの言葉を、複数回繰り返すのってなかなか好きです。「Hello, hello, hello」で始まるPhil Ochsの「No More Songs」だとか、SINGER SONGERの「初花凜々」だとか。「ハロー」だけではだめで、「ハロー、ハロー」。「おーい」ではなくて、「おーい、おーい」。一度だけだとその言葉はあまりにも決然としすぎていて、趣味ではなかったりしますが。身近な相手に対する、単なる呼びかけであまり面白くないのです。それが二度以上繰り返すと、どこか遠くへの呼びかけになって、さらには遠くに呼びかけるふりをして、実は自分の存在を確かめているような気がしてきて、その漠とした不安や希望といったものに抗いがたい魅力を感じます。あ、「もし」ではなく「もしもし」とか。本当は、長音が入るのが理想的ですけど。

「おーい、おーい!」と呼びかけつつ幕を引く角田光代の中編「もう一つの扉」。角田光代の作品の中でも、なぜだかこのラストシーンが印象に残っているのですが、それはやはりこの「おーい、おーい!」という言葉は、ぼくが角田光代の作品に惹かれるところのものを凝縮して内包しているからだと思います。それまでごく当たり前だと思われていた現実が揺らいでいき、帯からの引用ですが「私のほんとうの居場所はどこにあるのだろう」という疑問にぶちあたった時、見慣れていたはずの周りの景色が急速に馴染みのないものに思えてきて、孤独感が残るのですが、彼女の作品に登場する人たちはその移ろいに流されつつ、居場所を探すのをやめようとしません。その漂流における孤独と不安、そして何かに出会えそうな期待感が好きなのですが、「おーい、おーい!」という呼びかけには、誰かが答えてくれるかもしれないという期待感と、孤独を紛らすような、必死で自分に言い聞かせているような寂しさがあって、彼女の作品には何ともふさわしいように思えるのです。

「まどろむ夜のUFO」にも言えることですが、身近な人間であっても実は理解していないこと、理解できないことはあまりにも多い。それを意識している人、いない人など様々でしょうが、意識しはじめた途端に周囲の世界との断絶が深まり、日常がすべて非日常に転じてしまいます。そこの描き方が、なかなか好きです。この作品以外は「ピンク・バス」と「空中庭園」「キッドナップ・ツアー」ぐらいしか読んでいませんが。