東京事変 / 大人

大人(アダルト) (初回限定盤)(DVD付)

大人(アダルト) (初回限定盤)(DVD付)

若いときは世界のすべてが敵のようで、その憤りには理由があるような無いような、言うならばそれは若いからだということになるのですが、その若さゆえのアグレッシブな衝動をうまく代弁してくれていたのが椎名林檎だったように思えます。音楽性は時代によって違えどこういう存在は別に珍しいものではなくて、少し前までは尾崎豊などが彼女の位置にありました。(違いはというと彼女が女性であったということと、尾崎豊は心情の表現がずいぶんと直接的でしたが、椎名林檎はもっとメタな表現方法をとっていたことでしょうか)

でもやはり人間というのは何かを傷つけてばかりもいられなくて、年をとるごとに優しさというものをいくらかは覚えるものです。尾崎豊はそこに行き着くまでに死んでしまった…というよりはすでに行き着いていたにもかかわらず、世間が勝手に求める若き抵抗者のイメージに苦しみそれに引きずられてしまったところがあるのですが、椎名林檎は生きて年をとり続けていて、若者の心の代弁者という存在には留まりきれないところにまで来ているような気がします。

『大人』は東京事変のセカンドアルバムで、タイトルでもある「大人」をテーマに据えたこともあってかアルバムとしての完成度は前作をしのぎます。いろいろ言われるように否定的な意味で大人びた、おとなしくなったとは思わなくて、むしろ曲の背後に透けて見える彼女の優しい視線が微笑ましくて、その優しさは聴く者を、少なくともぼくを幸せにしてくれます。表面的に穏やかに歌うのだけが優しさなのではなくて、エッジが効いたというのかなんというのか、椎名林檎の少しハスキーで尖った歌声の根幹は昔から不変なのですが、でも歌に託される彼女の眼差しはずっと優しく、それこそが「大人」なのです。そういう優しさは自分一人で気付き手に入れることができるようなものではなくて、いつも誰かの示唆や手助けが必要なものだと思うので、やはりこの変化はバンドの変化に由来するものなのでしょう。

濃密でアダルトな雰囲気を漂わせる「秘密」に始まり、ジャジーな「喧嘩上等」、ボサノヴァのクールな響きが心地よい「化粧直し」、メロウでファンキーなグルーヴで魅惑する「修羅場」と様々な要素が入り乱れますが、それでも統一感を失わないのは、やはり「大人」というコンセプト…というかコンセプトという言葉の持つ自覚的なニュアンスとは少し違ってもっとナチュラルな視線と言うべきものなのですが、そういう視線がどの曲にも感じられるからなのでしょう。ぐっと派手さを抑えたにもかかわらずポップなメロディーは相変わらずなあたりもさすがです。

強さも弱さもさらけ出して、自分や他人や周りの世界に痛いほどに全力でぶつかっていく椎名林檎こそが本物の椎名林檎で、その昔に比べるとこのアルバムでの椎名林檎はゆるい、逃げ腰だとの批判もあるでしょうし実際そういう批判も目にしたのですが、そういう人はそういう過去のアルバムばかりを十回でも百回でもそれ以上でも繰り返し聴いていればよいのではないかと、一切の皮肉やあげつらいの意図を含まずにそう思います。というのも、そんな椎名林檎を望んでもこれからはおそらく誰も幸せにはなれないだろうという確信があるからです。いずれにしても、このアルバムに一切の手抜きや妥協は感じられませんし、手抜きや妥協が無いからと言って素晴らしいアルバムであるとは限らないのですが、このアルバムは紛れもない名盤です。

ところで最初聴いたときに唯一軽すぎると少し不満を抱いたのが「透明人間」で、軽いというかアレンジは良いのにヴォーカルはちょっと媚びるようなところが鼻につくなと感じたのですが、繰り返し聴くうちにこれはこれで良かったのだと思えてきました。でもその理由を語るには、まだもっとこのアルバムを聴く必要があると思うので、今は書きません(書けません)。