武部行正 / ゆふすげびとのうた

ゆふすげびとのうた

ゆふすげびとのうた

でも優しい歌が欲しかったのは僕等だ
と言ってみたらこまってしまったのも僕等です

ジャケットの裏に遠慮がちに引用された、アルバム収録曲「また散らかしっぱなしの秋が来て」の歌詞の一節。これだけで、アルバムの素晴らしさを確信するのには充分です。アコースティックギター中心のシンプルな演奏に、技巧を超越した味のある優しい歌声、穏やかさの中に一抹の寂寥漂うメロディー。そのすべてが素晴らしい。アルバムを1枚しか残さなかったことが惜しいというよりも、ぼくはアルバムを1枚残したことがそれこそ奇跡のように素晴らしいと感じます。このアルバムが発売される前年に有山じゅんじさんとのデュオ「ぼく」で中津川のフォーク・ジャンボリーに出演し、「深い木立に」(本当に名演)を含む3曲を演奏し、それきりになってしまった可能性もあるのですから。(でも未発表のセカンドアルバムがあるらしいです。聴きたい)

遠くの記憶をふり返るときのように切ない「風景」「円か」、どこまでも穏やかな「引越し」、カントリー、ラグタイム風の空気がどこか華やいだ「ソロモングランディの静かな日々」、話し声が入りリラックスしたムードの中瑞々しいコーラスが印象に残る「こんないい日は久しぶり」、優しくもプライヴェートな空気に満ちた「また、散らかしっぱなしの秋が来て」など、つまらない曲がまったくありません。こんなに素晴らしいアルバムが今は簡単に手に入る状況にないなんて、少し悲しくなりますね。

プロデューサーには西岡たかしさんの名前がありますが、ライナーノーツによると西岡さんは実際には関わっておらず、名前だけ借りたというのが真相のようです。それでも五つの赤い風船の影響は隠しきれませんが、フォロワーと位置づけるのもしっくりこないあたりに、武部行正さんの魅力が存在しています。