忘れてしまいそうになること

なんとなくいろいろなことがすっきりとしないまま、だらだらと過ごしています。WBCで日本が勝ち上がって良かったなあと思いつつ、周囲の喧噪についていけないでいたりするのは、日頃マスメディアの恣意的な報道を批判しているような人たちが、自分たちの自尊心を満たしてくれる報道は鵜呑みにして、韓国を嗤うのはなんだかフェアじゃないなあなんて思うからかもしれません。

それとは別に、音楽を語る態度、音楽を聴く態度についてずっとすっきりしないものがあって、でもそれについて深く考えるとぼくは音楽を楽しめなくなるのであえて考えないようにしていたのですが、萩原健太さんの過去の文章を読み返して胸に落ちるものがあり、多少もやが晴れたような気がしています。

特に50〜60年代のオールディーズ・ポップスのような音楽の場合、「いい曲だねー」「たまんないね」「胸がきゅっと切なくなるね」みたいな、まあ、なんというか、別にとりたてて文章にする必要もない感想のようなものしか口をついて出ないわけで。それ以外にあえて何かを語るとすれば、ソングライターが誰で、プロデューサーが誰で、とか。あるいは、業界的な意味合いとか。あまり本質的ではない部分の話ばかり。そういうマニアックな話題も楽しいっちゃ楽しいものの、それのみを目的に音楽を聞く気にはならないし。

 そんなこんなもあって、この種のポップスは文字中心の音楽ジャーナリズムの世界では思い切り軽視され、下等な音楽のように扱われたりもするのだけれど。コンセプトだのテーマだのをアタマで反芻しなければその音楽ないしミュージシャンの存在価値が確認できないようなタイプの小難しいものよりも、イントロ一発聞くだけで胸が切なくなったり、かっこいいっ!と思わず口元がゆるむタイプの音楽のほうこそを、ポップ音楽の根本だと信じて、これからのリスニング・ライフを充実させていきたいものだなとの思いを新たにするわけです。


Kenta's...Nothing But Pop!

ぼくは評論家への不信が強いのですが、それでも萩原健太さんに全幅の信頼を寄せるのは、評論家になってもう長いのに、こういう基本を決して見失わないからなのです、きっと。「コンセプトだのテーマだの…」のくだりは、とても共感を覚えます。