GWが5連休なのはありがたいのかどうか

最近、仕事をして酒を飲んで遅い時間に食事を摂るという生活が続いているせいか、体重が右肩上がりでいけません。ジョギングをしているのですが、膝裏の筋を痛めたのが慢性化してしまい長い距離を走れずにいます。ならば、と今日は知り合いに会うため錦糸町まで自転車で出かけたのですが、自転車に乗っていてもやはり筋が痛み出します。ジョギングのフォームが悪いのか、それともシューズのクッションが薄いのかとあれこれ悩んでいましたが、どうも屈伸の反復が良くないようです。

酒を飲むといえば、お酒の飲み方は人それぞれですが、ぼくなんかはアルコールが入ると加速度的に気分が高揚してしまうたちで、特に日本酒や焼酎についてはひどいエピソードがたくさんあります。(それに比べるとウイスキーを飲んだときというのはだいたいおとなしい。)酒の上での失敗が話題になっているこの頃で、それが良いか悪いかでいうと悪い(少なくとも良くはない)ことなのでしょうが、ああいうのは誰よりも本人が後悔するわけで、もうそっとしておいてあげたい気がしますね。

このダイアリーではあまりタイムリーな話題にはふれないようにしているのですが、でもやはり二つだけ。臓器移植法の拙速的な改定には、ぼくはどうにも賛成できないのです。脳死が人の死なのか、それとも心臓や肺の停止がそうなのかという問題について、法ではっきりと規定できるような根拠とかコンセンサスとか、そういったものが不十分な段階で、ドナーの確保ばかりが先行して法律が変えられてゆくというのは納得いきません。個人の話として、ぼくは臓器提供の意思表示をしているのですが、それは自己決定権の問題と理解していて(だから生命倫理の問題としてそれを認めない人もいると思いますし、自殺の場合のように境界線をどこでひくかという問題もあります。)、自由な決定ができない、自由意志を表示できない人に代わって家族が決定をするというのはまったくもってナンセンスです。生まれ育った環境のように、人の意志決定に抗いがたく決定的な影響を与えるものがあるのはどうしようもない事実ですが、大杉栄のような人が望んだように、人の思想とか行動とか動機とかいったものの自由は可能な限り守られるべきと思います。ドナーを確保するためなら何が何でも、というのは何か大事なものを置き去りにしているのではないでしょうか。

とまで書いて時間がなくなってしまいました。もう一つは死刑のことについて書くつもりでしたが、いつか何か本の紹介(『冷血』とか)と絡めて書くかもしれません。(いろいろ新書も出ていますし。)