Davy Jones / Davy Jones または Just For The Record Vol.2


僕にとって、(モンキーズのアルバムは)テレビのサウンドトラックに過ぎなかったし、僕の仕事ではなかった。僕の仕事は俳優で、歌えと言われれば歌う。それが問題だとは感じていなかった。(2枚目の)アルバムが出ると、「すごい!またアルバムが出たんだ」ってところだった。

これはミッキーの談ですが、しかしモンキーズを俳優の仕事として捉えていたのはおそらくデイヴィーも変わらないでしょう。マイクやピーターが大切にしたミュージシャンとしての自尊心と、デイヴィーやミッキーが大切にした俳優としての自尊心。そのぶつかり合いがモンキーズを魅力的なグループにしたのだと思いますが、一方で、その意識の違いによって生まれたメンバー間の溝は最後まで埋まることがなかったように思います。

マイクやピーターは、モンキーズとして音楽活動を続けていくことに限界を感じた段階で、(違約金を払ってでも)モンキーズとしての契約を打ち切って脱退していきましたが、デイヴィーとミッキーは再結成後を除けば最後のアルバムとなる『Changes』のレコーディングを全うしました。それは、彼らがモンキーズとしての活動に未練があったということではなく、それが契約であり、彼らの仕事であったからではないかと思います。(これはもちろん批判的な意味ではなくて、マイクやピーターとは異なる方向性ではありますが、ふたりともプロ意識の持ち主だったのではないでしょうか。)

モンキーズは終わった。新しいキャリアをスタートさせるつもりだ」

1970年の初めに、NME誌のインタビューに答えてそう語ったデイヴィーは、レコーディングやCM撮影などモンキーズとしての最後の仕事を終えた後、ベル・レコード(コルジェムズと同じく、コロムビア・ピクチャーズの子会社です)とアルバムを発売する契約を結びます。そうして発売されたアルバムが『Davy Jones』です。モンキーズ以前に発売されたファーストアルバムのタイトルが『David Jones』ですから、非常に紛らわしいですね。

さて、『Davy Jones』は、プロデューサーのJackie Millsを筆頭に、ボビー・シャーマンやパートリッジ・ファミリー、ブレディ・バンチなど、当時隆盛を極めていたバブルガム・ミュージック関連の面々が関わってレコーディングされました。バブルガム・ミュージックにありがちな話ですが、ここで必要とされていたのはデイヴィーの「声」という素材だけでした。『Davy Jones』のレコーディングに先立って、デイヴィーは、サイケデリックから内省への変革期にあった時代の空気を思い切り吸い込んだような、エッジの効いた素晴らしいデモを残しています。俳優としてモンキーズに参加したものの、マイクやピーターから刺激を受けて、デイヴィーもモンキーズ後期は音楽的な自我を強めていましたが、この時期のデモ録音はミュージシャンとしてのデイヴィーの集大成といえる刺激的で素晴らしいできばえでした。ポール・マッカートニーの「Man We Was Lonely」、エメラルズの「King Lonely The Blue」、ディランの「Tonight I'll Be Staying Here With You」、ジェイムス・テイラーの「Blossom」などを聴いていると、この路線でもう少しレコーディングを続けて欲しかったと思わずにいられません。

デイヴィーの意向を無視して、そのようなデモ録音に顧みることなく、ベル・レコード側はデイヴィーのソロアルバムを典型的なバブルガム・サウンドに仕上げました。選曲やアレンジにももちろんデイヴィーが発言する権利はありませんでした。それは、レーベル側としては当然の判断だったのでしょう。残念ながらモンキーズに匹敵するようなヒットには遠く及びませんでしたが、『Davy Jones』からは「Rainy Jane」がビルボードで最高52位と、デイヴィーのソロキャリアで最高の成績を収めました。セダカ&グリーンランドのコンビが書いた「Rainy Jane」は、先ほどのデモ録音でも取り上げられていて、そちらはシャープなフォーク・ロックにアレンジされていましたが、アルバムではブレディ・バンチのサウンドトラックに入っていてもおかしくないようなポップなサウンドにアレンジされていました。事実、『Davy Jones』の1曲目に収められた「Road To Love」などは、ブレディ・バンチでも録音されている曲です。

このような経緯もあって、デイヴィー本人は『Davy Jones』には不満が多かったようです。確かに、デモとして録音されていた曲の方向性でアルバムができていたら、デイヴィーの音楽キャリアは今とは少しだけ異なっていたものになっていたかもしれません。しかし、現実は、それらのデモ録音は後に『Just For The Record』シリーズの一環としてCD化されるまで陽の目をみませんでした。ただ、それはそれで良かったのかもしれません。かなりステレオタイプサウンドではあるものの、『Davy Jones』は純粋にポップで楽しいアルバムで、今聴いてもほとんど色褪せていません。

この後のデイヴィーは、ミュージシャンと言うよりはエンターテイナーとして、歌に、テレビに、舞台にと幅広く活動していきます。モンキーズに入るために一時は諦めたジョッキーの夢をアマチュアレースへの参加という形で叶え、1996年には優勝を飾りました。ただ、『Davy Jones』以降にデイヴィーが残した音楽には、散発的に好きな曲はあるものの、正直なところ私はそれほど魅力を感じません。刺激的であることよりもファンに楽しんでもらえることを大事にした結果がそうした路線に導いたわけで、それはそれでデイヴィーらしいなあと思います。音楽に魅力を感じないと書きましたが、しかし一方でデイヴィーの歌が聴けるだけで満足してしまうところもあります。

デイヴィーはモンキーズとしての再結成にも常に参加してきました。ドレンツ・ジョーンズ・ボイス&ハートでの活動を始め、1980年代にミッキーやピーターとの『Pool It』、マイクも奇跡的に参加した『Justus』、それに多くの再結成コンサートです。ただ、モンキーズの再結成は、その都度メンバー間のトラブルや契約の問題で後味の悪い結末を迎えることが多く、どうにもビジネス的なところが隠しきれていなくて、私個人としては、今のモンキーズに対する関心はほとんど失っていました。直近では、昨年行われた45周年ツアーが途中で打ち切りになるなど、またかと辟易するところが多くて、数年前にデイヴィーが来日した際も特に見に行ったりはしていません。これという明確な理由があるわけではないのですが、個人的にはモンキーズは『Justus』でおしまいという気分です。

先月の末に、デイヴィーの訃報が飛び込んできましたが、その時は悲しいと言うよりも不思議な気分だと感じました。NME誌は1970年に「MONKEES ARE FINISHED」と報じましたが、私にとっては『Justus』の辺りを境にフィニッシュしたものと感じていて、それ以降の時期はほとんど空白に近いです。それだけに、今回のデイヴィーの訃報は、悲しいと言うよりも(それでも悲しいですが)映像や録音でよく知っているデイヴィーがもう生きてはいないのだという不思議さと、一抹の寂しさを感じさせたというのが今の正直な気持ちです。また、「人の記憶に生き続ける」という表現がありますが、本人以外の者にとって、誰かが生きていることの意味の半分ぐらいは、記憶し、思い出すことだと思いますので、そういう意味ではすっかり亡くなってしまったわけではないのだ、と思いつつ、やはり残念な限りです。