ニューポート・フォーク・フェスティヴァル

ニューポート・フォーク・フェスティバル [DVD]

ニューポート・フォーク・フェスティバル [DVD]

1967年に公開された、ニューポート・フォーク・フェスティヴァルを取材したドキュメンタリー映画。フォークファン必見の映像が満載です。

ニューポート・フォーク・フェスティヴァルといえばロックファンからはほとんどディランのブーイング問題という点で知られているかもしれません。ブーイングの正確な原因は分かりませんが、たとえそれが「フォーク純粋主義者」によるものだったとしても、ぼくはそれを非難することはできないです。そうだとしたら、ぼくはむしろそんなフォークファンに対して哀しみまじりの共感を覚えます。ディランが悪いわけでもオーディエンスが悪いわけでもなくて、やっぱりそういう時代だったのだと思いますよ。ぼくがフォークファンとして当時あの場にいたらと考えてみると、ブーイングをせずにいられる自信はありませんので。ぼくが当事者だったなら、フォークという一つの時代の終わりを感じ取ってしまった哀しみに対するやりきれなさに、何かを叫ぶ気がします。

ちなみにWikipediaって転載しても良いのかどうかよく分からないのですが、一応ブーイング問題の部分を転載しておきます(量が多かったこともあって翻訳はかなり適当ですが…)。そういえば日本で公開が始まったスコセッシ監督の『No Direction Home』のDVDも注文しました。

エレキに持ち替えたディランを巡る論争

有名な話ではあるが、1965年のニューポート・フェスにポール・バタフィールド・ブルース・バンドを率いて登場したボブ・ディランは激しい野次を浴びせられた。エレキギターでブルースをやるバンドと一緒に演奏するなんて、フォークの純粋主義者に言わせれば裏切り行為にも等しいものであった。ディランを支持するものは、エレキを導入したディランのアルバムは1965年の大半の間ラジオチャートのトップ20に入っていたし、しかもその演奏はマディ・ウォーターズが普段やっていた演奏を手本にしているではないかと述べた。マディ・ウォーターズは長年にわたってエレキギターを使っていたのである。

オーディエンスからのブーイングの有無、程度、その動機についての論争も存在する。

ニューポート・フェスティヴァルで演奏するディランの映像は、2005年にマーティン・スコセッシ監督のドキュメンタリー映画「ノー・ディレクション・ホーム」で公開された。この映像は、司会のピーター・ヤーロウが「みなさん。次に登場する人にはあまり時間の余裕がありません。次の演奏者は…ボブ・ディランです!」とディランを紹介するシーンで始まる。ドキュメンタリー映像を見ていると、ディランが最初の曲である「マギーズ・ファーム」の数小節を演奏したところで、大きなブーイングや散発的な激励の声が起こり、次の曲である「ライク・ア・ローリング・ストーン」でも延々とそれが続いている。

フェスティヴァルに参加したミュージシャンの大半は、ディランの演奏中にはステージ裏にいた。ピート・シーガーは音響のところに行き、担当者に「ディランの声のゆがみを何とかしてくれないか。ひどいもんだ。斧があったら、マイクのケーブルをすぐに断ち切っているだろうな」と言った。シーガーがステージ裏で、斧を持ってケーブルを切断してやると騒いでいるという噂が瞬く間にミュージシャンの間に広まっていった。

ディランたちは「悲しみは果てしなく」(ドキュメンタリーには登場しない)を演奏した。ディランはバンドに「行こうぜ。もうやめだ」と話しかけ、ステージを去った。背後からは大きなブーイングと拍手がきこえていた。ピーター・ヤーロウは再びマイクを握り、ディランに演奏を続けてくれないかと頼み込んだ。激しく心を痛めていたディランはヤーロウとジョーン・バエズになだめられてステージに戻ってきた。アコースティックギターとハーモニカだけを携えたディランは、ようやく静かになったオーディエンスに向けて2曲を歌って聴かせた。「イッツ・オール・オーヴァー・ナウ・ベイビー・ブルー」(おそらくエレキギターに反発した伝統的なフォークファンへの別れの曲として)と「ミスター・タンブリンマン」の2曲である。そしてディランはニューポートに別れを告げ、好意的に迎えられることになる2002年までそこに戻ることはなかった。

観衆がなぜブーイングをしたのかはよく分かっていない。一説には、ディランのエレキギターに反発し、激怒したフォークファンから起こったのだという。また、観衆は貧弱なサウンドや非常に短いディランのステージに対して怒ったのだという説もある。ドキュメンタリー映画の公開に先立ち、ニューポート・フェスティヴァルの監督を務めたブルース・ジャクソンが1965年に観衆がディランにブーイングをしたという出来事について「ニューポートの神話(架空の話)」と語っている(ちなみにその記事はこちら)。ジャクソン氏は1965年のコンサートに参加しており、2002年に演奏のテープを検証している。彼の主張するところによると、ブーイングはディランのセットを時間通りに収めようとしてオーディエンスの不興を買ったピーター・ヤーロウに向けられたものだという。彼によると、エレキであるにせよそうでないにせよ、オーディエンスがディランの音楽を嫌っていた証拠となるものは何一つとしてないという。

ディランはこう話している。「なぜブーイングが起こったのか分からないよ…。でも観客があの時演奏した曲に対して否定的な思いを抱いていたとは思っていないよ。ブーイングが何に対して行われたにせよ、あれは音楽に向けられたものではなかったんだ」


Wikipedia(Newport Folk Festival-The Electric Dylan Controversy)