Vashti Bunyan / Lookaftering

Lookaftering

Lookaftering

グリム童話を読んでいると、そこにはいつも深い森が現れます。「ヘンゼルとグレーテル」「赤ずきん」「ブレーメンの音楽隊」「いばら姫(眠れる森の美女)」「白雪姫」などなど。イギリスのシェイクスピアが書いた作品にも、たとえば「お気に召すまま」や「真夏の夜の夢」「タイタス・アンドロニカス」(これはシェイクスピア作品の中で最も苦手な悲劇)のように、森がしばしば舞台として登場します。こういった物語を読んでいると、ふと、森というのはヨーロッパにしか存在していないような気がしてきます。少なくとも、日本の森は、林や山の延長としての森であって、純粋に森として存在することはないような気がします。それは余談ですが、ヨーロッパの物語で語られる森は、人々の身近にありながら奥深く暗く、魔女や妖精がいると考えられるような畏怖の対象となっており、同時に暮らしの場ともなっています。それらの森の多くは中世など遠い過去の森で(中世と言えばまず思い起こすのはやはり森ですよね)、現在のヨーロッパの人々が森をどう捉えているのかぼくはよく知りませんが、そういう森の物語を幼い頃から読み聞かされていれば、人に森の精神が根付いたりするのかもしれません。

英国のフォーク(イギリス以外のフォークはあまり聴いていないので、他はよく知りません)を聴いていると、深い森のイメージがしばしば立ち現れてきます。深奥で、妖精がひそんでいるかのような幻想性に富み、薄暗くしかし時に木漏れ日が差すような森のイメージです。普段日本やアメリカのフォークを聴いていて、このようなイメージを浮かべたことはただの一度もないので、これはやはり英国(ヨーロッパ)に特有なものなのだと思います。

『Lookaftering』は、1970年代初めに『Just Another Diamond Day』という美しいトラッドフォーク・アルバム(昨年にCD化されるまで、レコードは何十万という値で取引されていたという話もあります)を残してシーンから姿を消したヴァシュティ・バニヤンが、2005年に発表したおよそ35年ぶりの新作です。ここにも、『Just Another Diamond Day』と同様に、ヨーロッパの森のイメージが投げかけられています。35年という時の流れを感じさせず、繊細でひんやりとした空気が保たれていて、Devendra Banhartらのサポートも彼女の世界を壊すことなく、むしろうまく引き立てています。澄んで、吸いこまれそうな歌や演奏の背後に見えるのはやはり森のある生活で、森に何かを信じることのできた時代の名残が、聴く人を日常から連れ出して、遠く静かな土地の散策へと誘います。本当に素敵なアルバムです。