祖母の死

一ヶ月ほど前に母方の祖母が亡くなった。一つの時代が終わったという気がする。自分の中で。

私は何の宗教の信仰もないし、そもそも死後の世界や魂の存在も信じていないので、葬儀には出ずに東京に戻ることにした。葬儀はほとんど家族葬に近いかたちで、親族と、どうしても参加したいという人だけで行ったという。

信仰は人それぞれだから、葬儀に参加したいという人がいるのも理解するので、それはそれで良かったのだと思う。私としては、死んでから百のことをしてあげるよりも、生きているうちに一でも良いから何かをしてあげたいという考えなので、亡くなる一ヶ月ほど前、まだ意識のはっきりとしている時に顔を見せてあげられたことで満足という気持ちもある。

祖母の生前からの希望で、祭壇には遺影は飾られていなかった。そもそも写真に映ることもあまり好まない、シャイな人であった。

「棺の蓋を開けられて、顔を見られるのは、きっと祖母にとって本意ではないだろう」

というようなことを考えていたら、果たして生前は「棺にすぐに釘を打ってしまってあまり死に顔を人に見せないようにしてくれ」というようなことを話していたらしく、やはりなと思わず笑ってしまった。

祖父が亡くなったときは火葬の場にすら立ち会わなかったのだけど、今回は一応火葬にだけは立ち会うことにした。骨上げでは、「橋渡し」といいながら箸を使って骨を骨壷に運んでいく。火葬場のおじさんが、この骨はどこどこで…という風にいちいち説明してくれて、皆が神妙そうな面持ちでそれを聴いている。母親が私に向かって、私に骨を拾ってもらえて祖母も喜んでいるだろうと言ったが、私にはそうは思えなかった。祖母は、おそらく、スコップでも使ってさっさと骨壷に収められることを望んでいただろうと思う。少なくとも、皆が見ている前で骨を取り上げられて、「これが喉仏で…」みたいな説明をされるのは嫌だったろうなと考えつつ、これも儀式と思って黙って話を聞いた。

祖父が亡くなってからのこの6、7年は、特に足を悪くして施設にはいってからのここ数年は、本当にお迎えを待っているという感じだったので、悲しいとか寂しいとかいうよりも、お疲れ様と言いたいような、ちょっと安堵したような気もする。こうしてあと少しすると、今度は私の両親もそのような立場になり、その次は私ということになる。もちろんこればかりは順番通りとは行かない可能性もあるけれど、しかしこうしてみると人の一生というのもやはりあっという間に過ぎていくものなのだなあと感じたのでした。