埴谷雄高『埴谷雄高政治論集』

埴谷雄高政治論集 埴谷雄高評論選書 1 (講談社文芸文庫)

埴谷雄高政治論集 埴谷雄高評論選書 1 (講談社文芸文庫)

『思想論集』や『文学論集』に比べると読み返す回数は少ないのですが、「永久革命者の悲哀」という文章だけはよく読みます。花田清輝との論争とかスターリン批判の先見性なんていうものにはもうほとんど資料的な価値しか見出せないような気もするのですが(というのは、ここで言われていることは、共産主義が呪縛でも何でもなくなった現在からすると、至極もっともながらも特段新鮮さはないのです。)、しかし埴谷雄高の強い決意には心打たれるものがあります。

一切の権力を拒否し、自由な個人の連帯による世界を理想とする人がいるとして、その人が理想の世界のために何が出来るかというと、実はほとんど何も出来ません。宗教団体のようにシンパを増やして勢力を拡大するのか、それとも革命や他の運動によって自分たちの考え方を広めていくのか。でも、他人に対して指導したり、勧誘したり、強制したりすると、そこには自ずから拒否したはずの権力が現れてくるので、誠実であろうとすればするほど何も出来なくなるのです。

だから、たとえば本当のアナキストがいるとすれば、その人は遠い未来に理想の世界がやってくるのをただ夢想するほかないのですが、夢想というのは埴谷雄高に言わせると最高の自由であって、現実と折り合いをつけた暴力革命や運動を退けて、その夢想を何よりも優先したことで、埴谷雄高永久革命者なのです。その決意の結晶が『死霊』であって、そこでは社会的自由ばかりでなく、自我や存在、時間や空間などあらゆるものからの自由が読者に浮かんでくるのですが、「永久革命者の悲哀」にみられるような、埴谷雄高の自由に対する絶対的な誠実さがなければ、最高の文学的試み(完成度というか文学としてのテンションは、章ごとにばらつきがあるように思いますが。)の一つである『死霊』が生まれることもなかったのだと思います。