川上未映子 / わたくし率 イン 歯ー、または世界

わたくし率 イン 歯ー、または世界 (講談社文庫)

わたくし率 イン 歯ー、または世界 (講談社文庫)

人間の脳から「私」という意識が生まれるということや、「私」がその身体に閉じ込められていると思われること。そういう、人によっては「何だ当たり前のことじゃないか」の一言で済んでしまうようなことが、人によっては一生をかけて考え続ける価値のある問題であったり、ずっと引っ掛かりを感じ続けるようなことだったりします。

『わたくし率 イン 歯ー、または世界』では、まさにそういったことが大きなテーマとして取り上げられています。確かこの作品が出た頃か、あるいは『乳と卵』が芥川賞を受賞した頃に、何かのインタビューで作者が影響を受けた人物として永井均埴谷雄高の名前が挙がっていたような記憶がありますが、そうした人たちが考え続けた事柄を、うまく作中に取り込んでいます。

「私」という意識はどこで生まれるか、あるいはなぜ「私」は「私」でしかありえないのかといったテーマ自体は、この作品では深く掘り下げられてはいませんが、それでも、そのことがこの作品の魅力を残っているようには思えません。「私」という拘りのあるテーマをうまく回収した結末も、一人の女性の内面を鮮やかに描いた文章も、関西弁を効果的に使った文体も、どれもとても魅力的ですが、読み終えてしばらく充実感が残っているのは、たとえ思想的な深みはなくても、最初に挙げたようなテーマに対する真摯さというか熱が文章から強く感じられるからだと思います。「私」に纏わる哲学上のテーマを、ただの小道具として使うのではなくて、(そのようなテーマを抜きにしても面白い)小説というかたちで表現しきったところは、本当に凄いですね。