中上健次 『紀州 木の国・根の国物語』

紀州 木の国・根の国物語 (角川文庫)

紀州 木の国・根の国物語 (角川文庫)

先日、祖母が急遽入院したというので、会社を早退して空路和歌山へ戻りました。和歌山へ戻るために飛行機に乗ったのは学生の時以来、実に8年ぶりか9年ぶり。南紀白浜空港に降りて、そこから串本に向かいます。白浜から串本まで、日置、周参見見老津和深といった地域を通っていきます。この辺りの海岸線は枯木灘と呼ばれていて、中上健次がその名を冠した小説を書いていることでも有名です。

車に揺られながら、ふと中上健次の『紀州』を読み返したくなったのは、このルポタージュの冒頭のこんな一文を思い出したからでした。

ミワサキ、ウグイ、ナチ、テンマ、カツウラ、タイジ、見慣れた漢字を取り払い、音だけにすると、この半島の隠国、敗れて闇に沈んだ国の異貌がみえる。コザ、ヒメ、タコ、ワブカ、スサミ、アッソ、町の名はそう続く。何やらその地名の発音は、南島のもののようにみえるのである。

ルポタージュではありますが、個人的にはこの『紀州』は中上健次の代表作の一つであると思います。『岬』『枯木灘』などの中上健次作品は、彼の個人的な経験を小説の形で表現をした、いわゆる私小説と呼ばれる種類のものですが、事実をベースとしながら時折創作的に語られるという点で、『紀州』は『岬』や『枯木灘』といった作品の延長線上にあります。

陰→鬼→キ→気→木
もちろん半分遊びの類推であるが、その類推を不自然には感じさせないのが、紀州という土地であり、紀伊というところである。

このような、文字や音に対する過剰とも言えるこだわりは、中上健次の作品を読み解く上で非常に重要であるという気がします。それは、昔の人々が風雨や木々の揺れる音に精霊を感じ、あるいは疫病の背後に物の怪や悪霊を感じたのと共通するところがあります。そういう意味で、彼の作品は、「小説」という響きよりも「民話」「説話」あるいは「物語」と呼ばれたほうがそれらしいのです。この作品の副題に「物語」という言葉が含まれているのも、偶然ではありません。

前置きが長くなりましたが、この『紀州』は、差別と被差別をテーマとしたルポタージュとも読めますし、あるいは現代における紀州の民話として読むこともできます。というのも、例えば「古座」の編が町の関係者から事実ではない点が含まれるとの指摘を受け、後日「古座川」という編にて事実ではない部分があったと中上健次自身が認めている(実際には認めているというよりはもう少し複雑ですが)ように、彼の思い込みによって尾ひれがついているのではないかと思しき箇所が散見されますし、そういう意味では完全なるルポタージュではなく、どこか物語的であります。

紀州』は差別・被差別を主題としていますが、その是非ばかりを声高に主張するものではないので(もちろん、読めば分かりますが、それに対する問題意識は極めて強いのですが)、私もそのことについてここでは多く触れません。ただ、中上健次が繰り返した「皆はもう差別はないという。確かにそうかもしれない。しかし本当にそうだろうか」という趣旨の自問は、残念ながらこの地域では今も問われるべき状況にあるのかもしれません。私が子どもの頃に、学校の友人宅に遊びに行くと、なぜか彼の母親にひどく感謝されて、毎回帰るたびに「また来たってな、また来たってな」と過剰なほどの見送りを受けたことがあります。その友人の住む地域がいわゆる被差別部落と言われた地域であったということを知ったのはずっと年をとってからのことですが、ただ友人と遊ぶだけのことにそれだけ過剰な反応をされるというのは、やはりそれなりの理由があるのだと思いますし、結婚を申し込んだら相手の親に身元を確認されて、被差別部落出身であることを理由に破談になったというのが今現在の話として現実に聞かれるのがこの地域でもあります。

それはそれとして、もうひとつ、『紀州』を読んでいて面白いなと思ったのは、当たり前の話ではありますが、紀州とはいっても必ずしも一つに括れるようなものではないということです。紀州というのは今で言うところの和歌山県から三重県南部にあたる地域を言いますが、中上健次の作品世界に登場するような独特の地縁的共同体は、和歌山県南部から三重県にかけての、いわゆる「牟婁郡」と呼ばれる地域に見られるものだなと感じます。そのせいか、「田辺」「御坊」「和歌山」といった和歌山北部の編は、すこしこの作品の中でおさまりが悪いようにも感じます。何といいますか、白浜以北は方言や考え方が大阪の文化圏だなあと思わせるのに対して、白浜以南ではどこか孤立して閉鎖的な、小さな共同体の集積のように思われます。それは、幼少を白浜以南で、その後を白浜以北で過ごした個人的な経験に基づく実感にもあっているように思います。

以上が久々に『紀州』を読んだ感想です。さて、そんなこんなで串本に一泊をしてとんぼ返りで再び東京に戻ってきたのですが、幼少時代を過ごした串本の町も、帰るたびに活気が失われているような気がして、寂しくなります。格差社会とはよく言われますが、地域格差の問題も本当に深刻だなと感じた次第です。

串本から中上健次の故郷である新宮に向かう途中に太地という町があります。捕鯨問題でよくやり玉に挙げられる町なので、その話をすると「日本の文化の問題に他の国の人間が口出しをするのは許せないよね」と言ってくれる人がよくいます。しかし捕鯨の問題が文化の問題かというと私は少し疑問です(しかも文化と語る大半の人は鯨をまともに食べていない)。むしろ、捕鯨を文化の問題にすり替えることによって、事態が日本の外側の問題に矮小化されているような気がしてなりません。串本だけではなく、この周辺の地域は、林業などの衰退によって産業がどんどん弱っているのではないかと思いますが、そうした中で捕鯨も地元経済を支えるひとつの産業であるという視点で見てもらえると、現在こうした地域が抱える困難をもう少し理解してもらえるかもしれません。※私はというと、鯨はおいしいけれどイルカはえぐ味があって美味しくない。常食するものではないので絶滅するほど取るわけでもなければ、水銀汚染が問題になるほど食べるわけではないので現状程度の捕鯨は構わないじゃないかという考え方です。

取り留めもない感じになりましたが、盆と正月以外に和歌山に戻ったのは久々な気がするので、普段の町を見ることができて新鮮な気分になりました。