加藤和彦 / ぼくのそばにおいでよ

ぼくのそばにおいでよ(紙ジャケット仕様)

ぼくのそばにおいでよ(紙ジャケット仕様)

フォークルの加藤和彦、「あの素晴しい愛をもう一度」の加藤和彦、ミカ・バンドの加藤和彦…というように、バンドや代表曲の名前で加藤和彦さんのことを語るのは、ちょっと無理があります。同じことはやらないという言葉通り、その時代その時代でいつも新しいことをやろうとしていて、しかもそのセンスはいつも抜群です。ミュージシャンとして世に出たのはザ・フォーク・クルセダーズが最初で、コミカルながらも随所にひねりのきいたアイデアをちりばめた「帰って来たヨッパライ」や情緒的な「イムジン河」「悲しくてやりきれない」などに象徴されるように、アイデアも曲作りのセンスも、とにかく同時代のバンドを圧倒するものだったと思います。フォークルが最初に自主盤で出した『ハレンチ』は日米の民謡を多く取り上げた、比較的オーソドックスなフォークアルバムですが、「ソーラン節」や「ひょうたん島」、それにもちろん「帰って来たヨッパライ」などでは抜群のポップな感性の萌芽があり、『紀元貮阡年』では叙情的な「花のかおりに」からサイケデリックな「ドラキュラの恋」まで、もはやただの「フォーク」グループにはとどまらない多彩な音楽性を発揮していました。

『ぼくのそばにおいでよ』はフォークル解散後の1969年に発表された最初のソロアルバムです。本来はもう少しボリュームのある内容だったものを、商業的な問題から(1枚のレコードに収まるサイズの)コンパクトなものに変更して発表されたアルバムとのことで、本人のアルバムに対する評価はあまり高いものではなかったようです。

ぼくは、お気に入りということであればこのアルバムを一番気に入っていて、というのもこのアルバムには加藤和彦さんの多彩なポップ・センスの原型が、すべてといってもいいぐらい詰め込まれているからなのです。

『ぼくのそばにおいでよ』というアルバムタイトルは「Come To My Beside」という日本で特に人気が高いEric Andersen作品のカバーからとられていて、1曲目に配置されたこの曲はずいぶんとカントリー寄りの親しみやすいアレンジを施されていますが、2曲目からの「日本の幸福」三部作は一転して、フォークやブルーグラスを下敷きにしつつも、深めの音像を作り上げていて、特に「日本の幸福Ⅰ」などはドリーミーなフォーク・ロックの名曲です。『ガーディニア』につながってゆくような洗練されたポップスを聴かせる「ぼくのおもちゃ箱」や「ネズミ・チュウ・チュウ・ネコ・ニャン・ニャン」、おそらく彼の作品としてミカ・バンドに先駆けて最初にロックする「ゼニフェッショナル ブルース」、クニ河内が参加して大々的にオーケストラ・アレンジを施した「9月はほうき星が流れる時」、それにとても美しいアコースティック・ギターによるインストゥルメンタルの「ひるねのミカ」など、よくもこれだけの作品を作れたものだと感心してしまいます。

加藤さんの訃報、まだなんと言って良いか分からないですね。