円城塔『これはペンです』

これはペンです

これはペンです

この作品ではなく、次の「道化師の蝶」が芥川賞をとった時の選評で、半数近くの選考委員が「よく分からん。でももっともらしいことを書いている気がするから否定するのも憚られる。」「もっと分かりやすく書いてくれ」と評していて、それが円城塔とはいかなる作家であるのかということを見事に映し出しているようで、選評を読むたびにニヤニヤしてしまいます。

『これはペンです』は『道化師の蝶』よりは多少読みやすい作品です。表題作に加えて、おそらく表題作と繋がりのある世界について書かれた「良い夜を持っている」が同時に所収されていることによって、小説世界の全体像が見えやすくなっているということも、読みやすいと感じさせる一因かもしれません。個人的には、表題作を読んで、「良い夜を持っている」を読んでまた表題作に戻って読むということをもういいとなるまで延々と繰り返すと楽しいのではないかと思いますが、時間の関係上私は2回繰り返したところでひとまず本を閉じております。読みやすいとは言っても決して理解しやすい小説ではないですが(というか、「理解った」とあっさり言ってしまえるような小説があり得るのか、そんなものが小説であり得るのかという話もあります。)、私が面白いなと感じた部分をちょっと取り上げてみます。

  • 文体

叔父は文字だ。文字通り。

これは極端とはいえ、こういう飾り気がなく簡潔な、しかし意味を理解するためには一度立ち止まって考える必要のある文章が多く混ぜ込まれた文体に引きこまれます。リズムが良いというのでしょうか。何を書いているかはさっぱりだけど円城塔の小説は好きという人は、こういう文体の醸し出す雰囲気が好きなのかもしれません。村上春樹が翻訳調の文体というのであれば、ここでの円城塔機械的な文体といったところでしょうか。といっても機械翻訳的なぎこちなさではないですから、無機的であるという意味ですが。

  • 内容

「これはペンです」は、乱暴にまとめてしまえば、「もっともらしく見えるが実は無意味な文章の羅列にすぎない擬似論文(文章)の自動生成プログラムを開発した叔父とその姪」の話です。そして最後まで読めば、それが「もっともらしく見えるが実は無意味な文章の羅列にすぎない擬似論文(文章)の自動生成プログラムによって自動生成されたもっともらしく見えるが実は無意味な文章の羅列にすぎない擬似論文(文章)の自動生成プログラムを開発した叔父とその姪」の話なのではないかと考えさせられます。

メタフィクションとして、そのような再帰的な、あるいは自己言及的な文章をどこまで楽しめるかということは、この作品を、あるいは円城塔を楽しむ上で結構重要なのではないかと思います。

「これはペンです」の最初の方にソーカルについての言及があります。「擬似論文生成プログラム」によって書かれたという体裁の「これはペンです」の読者は、まるでソーカルの論文の査読者の立場にあるかのようです。いや、「これはペンです」に限らず、円城塔の小説の読者はいつもソーカルの論文の査読者のような困難に立ち会わないといけないのではないかと思えてきます。最初に書いた芥川賞円城塔に関する選評は、このソーカルに関する一連の出来事と重ねるとなお一層楽しめます。評価をしても地獄、批判をしても地獄というのは円城塔が仕掛けた巧妙な罠ではないか、と気楽な読者である私なんかは笑いを噛み殺しながら選考委員に同情してしまいます。円城塔の小説はソーカルの論文と同じだ。いや、論文と小説は一緒くたにはできない。いや、そもそもソーカル事件というのは皆が考えているほど大した事件ではなかったのでは、などなどこの部分だけでも色々な考えが頭を巡り、それがまた「これはペンです」の読み方に反映されていきます。

あるいは、この手前の姪(わたし)とその母のやりとりで

あんなにわけのわからないことばかり言い続けて、それでいっぱしの顔をしているらしいけれど、誰にもわからないことを言い続けて何の得があるものかね。世間様が面白がってくれている間は良いけれど、わけのわからないことになんてみんなが飽きてしまったら、あの子は何をどうして食べていく気か、わたしは本当に心配であるし、飽きてしまった

という母のコメントがありますが、この部分はこれに続く「わたし」の思いとあわせて、円城塔円城塔についての自己言及と読めて面白いです。この部分に限らず母のコメントはいちいち気が利いています。円城塔を評するときの高樹のぶ子氏はこの母を意識してわざとああいうコメントをしているのだったりして…。

このように個別の挿話についてはまだまだいくらでも思考が広がっていきますが、ここでは一旦これまでにします。

ところで、『これはペンです』を読みながら、以前円城塔がコンピュータ将棋についてコメントしていたような気がして、「これはペンです」はコンピュータ将棋から着想を得たのか、あるいはこのような考え方をする人だからコンピュータ将棋に関心があるのかどちらだろうと考えていたのですが、これを書きながら調べてみると円城塔がコンピュータ将棋についてコメントした履歴が見当たらないので単に私の記憶違いだったのかもしれません。しかしプログラムがもっともらしい擬似論文を生成することと、プログラムが人間らしい自然な棋譜を生成することは相似していますね。まだここに何か書くことができるほど考えがまとまっているわけではないですが、いつかそういうことについても思うことを書けたらと思います。

同時に所収されているのは「良い夜を持っている」で、「良い夜を待っている」ではありません。「wait for a good night」ではなくと書きかけて単に「have a good night」の直訳なのかと気づきましたが、よくよく表紙を見ると「これはペンです This Is A Pen」と書かれているので、そこからの類推でそれぐらい初めに気づいておけというところでしょうか。こういう機械的なタイトルも文章とマッチしていますね。

物理系/理数系出身の作家であると過剰なまでに強調されているようですが、円城塔は別に理数系の人のための作家でもなければ、物理や数学が理解できないと楽しめない小説を書く人でもありません。そういう評価をする人は、円城塔という作家を不当に、過小に評価していると言わざるを得ません。例えば村上春樹が音楽好きな人のための作家ではないのと同じように。だから自分は理数系が苦手だからと変な先入観を持たず、読んでみるとなかなか楽しめるかもしれません。