The Monkees / Pisces Aquarius Capricorn & Jones Ltd

Pisces,Aquarius...

Pisces,Aquarius...

モンキーズのサードアルバムである『Headquarters』は、もちろんすべてがオリジナル曲というわけではありませんでしたが、モンキーズがほぼ独力で完成させたアルバムでした。後に発売された『Headquarters Sessions』という3枚組CDには、彼らが試行錯誤を繰り返しながらレコーディングを進めていった様子がはっきりと記録されています。

一方で、『Headquarters』のレコーディングの頃から、メンバー間の意見の相違が顕著になっていきます。『Headquarters』に十分満足していたピーターに対し、デイヴィーやミッキーはその達成感に酔いしれつつも同じパートを何度も何度もレコーディングすることにうんざりしていました。また、マイクはツアー中にモンキーズのメンバーと一緒に移動することを拒否し(一時はライブ離脱の可能性もありました)、モンキーズ以外のプロジェクトへの参加を積極的に増やしたりするなどモンキーズとは距離を置く姿勢を鮮明に打ち出していました*1。こういう状態であった上にテレビ番組の撮影も抱えていたため、『Headquarters』のように4人だけでじっくりレコーディングに望むということは不可能で、4枚目のアルバムからは再びセッションミュージシャンを起用してレコーディングを行うようになります。マイク自身、頭の中の音がうまく形にならないことに少なからず不満を感じていたのでしょう。(一方のピーターは『Headquarters』におけるグループの結束を高く評価し、マイクがいる限り再びグループが結束することはないと考えやがてモンキーズを脱退するのです)

しかしながら、彼ら4枚目のアルバム『Pisces Aquarius Capricorn & Jones Ltd.』はアルバムの完成度という点においてはモンキーズ史上最も高いものとして評価することができます。メンバーの星座をタイトルに冠した(マイクとデイヴィーは同じ星座だったので、区別するためにデイヴィーは自分の名字−Jones−をタイトルに入れた)このアルバムは、4人揃ってレコーディングに臨んだことと一人のプロデューサーに絞ったことによる統一感、各メンバーが積極的に制作に関わり異なる音楽性を反映させたことによるヴァラエティ、スタジオミュージシャンと分担した質の高い演奏などが光り、ここまで隙のないアルバムは、他のモンキーズのアルバムを見渡してみてもまず見つかりません。

まずバンドの主導権を握ったマイク・ネスミスは「Salesman」(マイクが見出し、アルバムのプロデュースも手がけたPenny Arkadeというバンドの曲)や「What Am I Doing Hangin' 'Round?」(同郷の友人マイケル・マーフィーの曲)で自らの交友関係を積極的にバンド内に持ち込むようになり、さらにリードヴォーカルを担当した「Love Is Only Sleeping」やハインラインの同名SF小説にインスパイアされた「The Door Into Summer」と併せてアルバムにカントリーロック〜テックスメックスの色を添えました。扁桃腺の除去手術で変わったヴォーカルもすっきりしています。そんな中でもモンキーズ以前のソロ時代のレパートリーであった「Don't Call On Me」は甘くロマンチックなカントリー・バラッドで、このアルバムにおける一つのハイライトと言えます。

デイヴィーもツアーの前座を務めていたThe Sundowners(『Captain Nemo』というアルバムでソフトロックファンには有名です)のメンバーの助けを借りて、「Hard To Believe」というボサノヴァ調の爽やかな曲でソングライティング・デビューを果たします。この曲は、おそらくThe Sundownersが好きな人にはたまらない(多少の甘さはありますが)ポップサイケの逸品です。

ミッキーは自作曲こそなかったものの、マイクの書いた「Daily Nightly」という曲でサイケデリックな曲調にあわせた見事な歌声を聞かせ、同時に気まぐれで購入した当時最新の楽器ムーグシンセを見事なアドリブで弾きこなしています(確かムーグシンセがポップスのレコードで使われたのはこの曲が最初だった気がしますが、うろ覚えなので間違っているかもしれません)。

ピーターは「Peter Percival Patterson's Pet Pig Porky」というユーモラスなトラックと、ボイス&ハートが提供しシングルヒットした「Words」でかろうじて存在感を示したものの、やや不遇の印象があります。しかし「Words」で聴かせる彼の東洋的な掛け合いコーラスがなければ、この曲の魅力は大きく失われていたでしょう。

また、外部のソングライターの曲もこのアルバムではうまく機能しました。チップ・ダグラスが見いだしてきたハリー・ニルソンの「Cuddly Toy」はその愛らしさがデイヴィーのヴォーカルにピタリとはまり、今も高い人気を誇っています(そしてこの印税は銀行員と作曲家を兼業していたニルソンを経済的にバックアップし、彼が作曲家の道に専念するきっかけとなりました)。キャロル・キングは荒々しいロックナンバー「Pleasant Valley Sunday」とサイケデリックでキャッチーな「Star Collector」を提供し、前者は世界中で、後者は日本など米国以外の一部の国でシングルカットされヒットしました。確かに外部のライターが提供するという構図は1stアルバムや2ndアルバムとは何ら変わりはありませんでしたが、今回はそのレコーディングにメンバーが能動的に参加したために、バンドとしての勢いとまとまりを出すことに成功しているのです。

マイクは渡英してビートルズと会ったり、テレビ番組にフランク・ザッパを呼んだりと急速に同時代のロック・ミュージシャンとの親交を深めていきます。ミッキーはジミ・ヘンドリックスのプレイに衝撃を受け、ジョン・レノンからヘンドリックスの音楽を聴かされて同じく衝撃を受けたマイクとともにヘンドリックスをモンキーズのツアーの前座に起用します(しかしライブにやってくるのはモンキーズ目当てのファンばかりで、うんざりしたヘンドリックスは途中でツアーから離脱しました)。ピーターはミッキーとともにモンタレー・ポップ・フェスティヴァルに出向き、ルー・ロウルズやモンキーズ加入以前からの親友スティーヴン・スティルスが在籍したバンド、バッファロー・スプリングフィールドの紹介をするためステージ上に姿を見せました。(ピーターとミッキーの二人は「Take A Giant Step」のリハーサルまでしていたので、都合が良ければ実際にステージで演奏していたかもしれないのです)デイヴィーはこの後スティーヴ・ピッツ、ビル・チャドウィックと次々と共作者を見つけ、ソングライティングの才能を開花させていきます。

こうして音楽性に目覚めたメンバーは、他のバンドでも良くあるように激しく互いのエゴをぶつけ合います。特にマイクはピーターにつらく当たるようになり、それはバンドの調和を求めるピーターの脱退を促すことになります。しかし兎にも角にもこの時までは、開花しつつあった各メンバーの音楽性はチップ・ダグラスというプロデューサーのもとで一つにまとめられていました。このアルバムはどうにか100万枚を売り上げ、チャートの首位に達します。これ以後モンキーズのアルバムがチャートの首位に輝くことはありませんでした。緩やかに下り坂をたどっていたモンキーズの人気は、やがてテレビショウの打ち切りや『Head』の失敗により急激に低下していくことになるのです。

(※資料を家においてきたので記憶を頼りに書いています。なので上の文章は間違いが多いかもしれません…)

*1:ペニー.アーケード、ビル.チャドウィック、コーヴェッツ、リンダ・ロンシュタット(これはマイクが積極的に絡んだわけではないですが)、そして自身が関わったウイチタ・トレイン・ホイッスルです。