The Monkees / The Monkees Present

The Monkees Present...

The Monkees Present...

テレビ特番『33 1/3 Revolutions Per Monkee』の仕事を終えて間もない1968年の暮れにピーター・トークモンキーズ脱退が公式にアナウンスされ、モンキーズはデイヴィー、ミッキー、マイクのトリオで活動を続けていくことになりました。

こうして始まった1969年は、商業的には、モンキーズにとって落日の年であったことは間違いありません。2月に発売された『Instant Replay』はかろうじてビルボードのチャートで32位という結果を残しましたが、同時にカットされた9枚目のシングル「Tear Drop City」は最高で56位と、バンドとして初めてトップ50入りを逃しています。それから2か月後に発売されたシングル「Someday Man / Listen To The Band」も81位まで上昇するのがやっとでした。3月から始まったツアーは、サム&ザ・グッドタイマーズをバックバンドに起用したユニークな内容でしたが、チケットの売れ行きが悪く公演がキャンセルされたり小さな会場に移ったりするなど、人気の落ち込みは疑いようもない状況にありました。

デイヴィーとミッキーが本音のところでこの時期をどう捉えていたのかということはひとまず脇においておくとして、マイクはサム&ザ・グッドタイマーズとのツアーに出ていた時期のことを「とても楽しい時期だった」と振り返っています。確かに、これはマイクの本心であったのしょう。ツアーが刺激的であったというのは当然ですが、レコーディング面においても、この時期にはバンドのメンバーが揃ってスタジオに入ることなど既にほとんどなくなっていたので、次のアルバムとなる『The Monkees Present』は各々のソロ活動をバンド名義で発表する場に過ぎませんでした。テレビへの出演などバンドとしてのプロモーション活動に参加することには、マイクも多少の煩わしさを感じていたのでしょうが、少なくともツアーやレコーディングにおいてはまだ少しだけモンキーズでの活動を継続するだけのモチベーションが残されていました。

ピーターの脱退について、マイクは次のように語っています。

複雑な気持ちだったよ。僕にはピーターが出ていきたがった気持ちがよく理解できた。僕も同じ気持ちだったからね。でも、まだやり終えていないんじゃないか、やらないといけないことがあるんじゃないかという気がしていた。やり残したことをそのままにしておきたくないという気持ちも強かった。モンキーズとして自分たちでやったこともあれば、モンキーズがやっているふりをしていただけで実際にはやっていないこともあった。僕らが力をあわせてやっていくことができていれば、あるいは自分たちできちんとやることができていたかもしれない。でも、力をあわせることなんてできないということははっきりとしていた。モンキーズは自然にできたバンドではなかったから、力のあわせようがなかったんだ。だから、モンキーズを出ていくというのはピーターにとって一番いいことだと思ったし、僕がそうするのも時間の問題だった。

そのやり残しを片付けるため、マイクはこの時期に精力的にレコーディングを行なっています。

さて、モンキーズの8枚目のアルバムとなる『The Monkees Present』は、最初は2枚組のアルバムとして構想されていました。4人のメンバーが各々アルバムの片面を担当し、各メンバーの音楽性を表現するというコンセプトは、ピーターがモンキーズを脱退し、メンバーが3人となった時に頓挫しました。3人のメンバーのソロ録音を各面に配置し、残る最後の面にバンド志向の強い曲を収録するというアイデアもあったようですが、最終的には1枚のアルバムにメンバーの実質的なソロ録音を取り混ぜるかたちで世に出ることになりました。当初の構想であった2枚組から1枚へと縮小することになる直接的なきっかけはピーターの脱退であったのかもしれませんが、『Head』以降のモンキーズ人気の衰退を目の当たりにして、スクリーン・ジェムズ社がモンキーズにお金をかけることに尻込みをするようになっていたことも大きかったのだと思います。

The Monkees Present』は1969年の10月に発売されました。発売された当初、このアルバムのカバーは白黒で印刷されていましたし、おまけにジャケットデザインもサインペンでメンバーの肖像を描きなぐったような素朴なものでしたが、そういうところからもスクリーン・ジェムズ社がモンキーズを諦めつつあったことがよく分かります。余談ですが、アルバム・カバーが白黒であったことについて、後にマイクは『ピーターが「Lady’s Baby」(のレコーディング)にお金を使いすぎたこともあったんじゃないの』という趣旨の発言をしています。「Lady’s Baby」はピーターの友人であったスティーヴン・スティルスも録音に参加するなど、最終的に5つのバージョンを作るまでピーターが心血を注いだ名曲ですが、この曲についてはデイヴィーも『みんな笑って「Lady’s Baby」をジョークのネタにしていた。でも、(ビーチボーイズの)「Good Vibrations」をやるのと同じくらいお金を掛けたと思うよ』などと話しているほどなので、マイクが皮肉(あるいは冗談)の一つも言いたくなる気持ちがわかります。「Good Vibrations」はヒットしたのでまだ良かったですが、「Lady’s Baby」は1987年に『Missing Links』で日の目をみるまでお蔵入りしたままでした。

話が脇にそれてしまいましたが、しかし、皮肉なことに『The Monkees Present』は各メンバーの個性を見事に反映したアルバムに仕上がりました。デイヴィー、ミッキー、マイクの3人がそれぞれ4曲ずつリード・ヴォーカルを分けあっているあたりに、当初の2枚組構想の残香を感じます。

デイヴィーはこの頃レコーディングでパートナーを組んでいたビル・チャドウィックと共に吹き込んだ「If I Knew」や「French Song」に加えて、ボイス&ハート作品で初期のアルバム・セッションからのアウトテイクである「Looking For The Good Times」と「Ladies Aid Society」を担当しています。とは言っても、後の2曲は直前にボイス&ハートがミックスをしたのみで、この時期に新たにデイヴィーが吹き込みを行なったことはありません。デイヴィーが同時期にビル・チャドウィックと録音を行っていた曲には「Time And Time Again」や「If You Have The Time」ありますが、この辺りの曲の完成が間に合わず4曲を用意することができなかったのか(『The Monkees Present』発売後もこれらの曲のセッションが行われています。)、それとも従来のモンキーズのイメージを踏襲するキャッチーな曲が少ないことにスクリーン・ジェムズ側が危機感を抱いたのか、正確なところはわかりませんが、「Valleri」タイプのストレートなロック・ナンバーである「Looking For The Good Times」と「Gonna Buy Me A Dog」をもう少しだけ真面目にしたような「Ladies Aid Society」が少し浮いているような印象は否めません。「If I Knew」や「French Song」は映画の挿入歌のようなセンチメンタルな曲で、テレビの中で女の子を見ていつも目の中に星を輝かせていたデイヴィーのイメージをそのまま表現した秀作といえます。

ミッキーは後にソロアルバムでも取り上げたお気に入りのカバーである「Pillow Time」に加えて、オリジナル曲を3曲提供しています。「Little Girl」はアルバムの冒頭を飾った曲で、ルイ・シェルトンが「Valleri」に勝るとも劣らない素晴らしいギターを聴かせてくれます。「Bye Bye Baby Bye Bye」と「Mommy And Daddy」はいずれもリズムを強調した曲で、特に後者はモンキーズでもとりわけ直接的な社会批判を歌った曲として、賛否のあった曲です。

マイクは「Good Clean Fun」と「Listen To The Band」というシングルとなった2曲に加えて、オリジナル曲として「Never Tell A Woman Yes」というドタバタとしたカントリーの良曲を、残りの1曲は友人のマイケル・マーフィー作品を取り上げた「Oklahoma Backroom Dancer」を、それぞれ収録しています。特筆すべきはやはり「Listen To The Band」で、カントリー色が前面に出ることの多いマイク作品にあって、オルガンやホーン、ドラム(パーカッション)を強調したロック色の強い演奏は、おそらくソロも含めたマイクの音楽活動を通じても有数のインパクトがあります。この曲については、このアルバムで発表される以前に『33 1/3 Revolutions Per Monkee』でサイケデリックかつカオティックなアレンジで演奏されていて、こちらもアルバムバージョンと双璧をなす出色の出来です。

3人の個性がうまく反映されたアルバムでしたが、セールス面ではモンキーズの凋落を食い止めることはできませんでした。アルバムはチャートで最高100位に終わり、その後に続けられたツアーも低調なままフィナーレを迎えました。

1970年に入り、マイクはまだ残っている契約について会社と話し合いを持ち、CM撮影などいくつかの契約を残して、モンキーズとしての活動を終えることで合意します。そして2月以降は、新たに結成したファースト・ナショナル・バンドと共に、ソロアルバム『Magnetic South』のレコーディングに入っていきました。

一方で、デイヴィーとミッキーはこの後もう1枚だけアルバムを録音することになります。しかし、デイヴィーが公の場でソロ活動の計画を語るなど、モンキーズの終焉は誰の目にも明らかとなったのでした。